感情デトックスダイアリー

マインドフルネスという言葉が定着して久しい。
自分はマインドフルネスを含めた瞑想の類が、まったく駄目であった。
目を閉じて、呼吸を整えると、「無になんてなれるかーい!!」と部屋中にクラッカーをパンパン鳴らしたくなってしまう衝動にかられた。
瞑想しはじめると、過去にうけた理不尽から生じた感情が沸き上がってきてしまうのだ。
無を目指すよりも、雑念で脳みそをグッチャグチャに満たしてしまうほうが、はるかに楽だった。

心の平穏を求めていた。
何をしたら、平穏になれるか、いろいろなことを試してあがいた。

思うに、自分のように心に膿を持った人間は「感謝」とか「許し」とかのメソッドの前に、膿を出すプロセスが必要なのではないかと思う。
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シャンドワゾーでフロマージュキュイを食べた。
フロマージュの部分だけでも、とろける美味しさだけれど、土台のゴッツゴツのビッケと合わさると、感動的な美味しさとなる。

最近、瞑想ができるようになってきている。
感情のデトックス過程に「好きなことをする」というのもあったと思う。
心に「好き」を流し込めば、徐々に濁った感情が流れ出ていく(もしくは薄まる)という、思い付きの理論である。
こうして、ケーキを食べることも心の平穏への一歩だったのかもしれない。

今になって、試したけれど、効果がなかったと思ったものも、決して無駄だったわけではなく、ちびりちびりと膿を排出していたのかもしれない。
回復というのは、そういう地味な作業の積み重ねなんじゃないだろうか。